郷土の偉人

主な作品

鳥取春陽

鳥取春陽(本名 貫一)は、明治33年(西暦1900年)刈屋村北山(現在、宮古市刈屋)に生まれた。鳥取家は平家の末裔で、広い屋敷と広大な田畑、牧草地を持つ資産家だ
った。7歳の時、刈屋尋常小学校へ、入学。
片道1時間余りの道をハーモニカを吹きながら通学した。貫一は、小学校の頃から家出
を考えていた。11歳の時、家業の製糸工場が倒産、13歳で同高等小学校へ進学したが、14歳の時、計画を実行に移し、上京。
 新聞売りや郵便局のアルバイト等をしながら生活し、演歌師達と知り合い、演歌組合
に入り、作曲活動を始めた。
 17歳の時、「みどり節」(詩 添田さつき)を作曲。
 22歳の時、大ヒット曲「籠の鳥」を作曲。この曲は、映画化され、覚えやすいメロディー
でつい口ずさんでしまう。艶っぽい歌詞は、子供にまで流行し、小学校ではこれを歌うの
を禁じるという騒ぎにもなった。
 29歳の時、山田貞子と結婚、31歳の時、長女 陽子が誕生、翌年1月大坂市において肺結核により死去。この年、長男 量男誕生。
 平成13年、春陽の功績が認められ、「大衆音楽の殿堂殿堂」入りを果たした。
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