県都盛岡から真東に100km、区界峠を越え北上山地を抜けた
その先に閉伊の里宮古が拓けています。
 古くは縄文の昔から豊かな漁場として栄え、浄土ヶ浜に代表され
るリアス式海岸は、風光明媚な景勝地として訪れる人々を癒します。
 豊富な漁業資源を背景に港町として発展してきた当市は、その
良港を存分に活用した工業都市でもありました。
 
 昭和11年、田老町(現宮古市田老)の田老鉱山銅鉱石の採掘が開始
されると、同14年6月には銅鉱石を精錬するラサ工業宮古精錬所が
操業を始めます。同年8月には過燐酸肥料の製造も開始され、最盛期に
は構内に4,000人もの人々が働く一大産業となって宮古の経済に多大な
波及効果をもたらしました。
 また、宮古精錬所と一緒に完成したのが工場背後の煙突です。根元の直径10m、先端直径
5m、全長160mを誇るこの煙突は当時「東洋一の大煙突と言われ、煙害防止に
大きく役立ちました。
 今は昔、宮古の好況の証であった「ラサの煙突」は、閉伊の里宮古の高台で静かな
佇まいを見せています。宮古のどこからでも見える「ラサの煙突」は、宮古の発展の
シンボルとして人々の胸に刻まれています。

 ラサ工業は就業の目安に「ポー」っとサイレンを鳴らしていました。このサイレンは、午前
7時45分、正午、午後4時と3度鳴り、文字通り”ポー”とよばれて人々の日常生活に融け込み
親しまれていました。
 ラサの煙突の最上部には避雷針が取り付けられています。さてこの避雷針、高さ1m50cm、
直径30cm程ですが、設置されてから一度も交換されることなく健在です。とすれば、数十年に
渡って腐食に耐えうる材質で出来ているに違いない。それは何か? ”金”だ。しかも純度の高い金
”純金”に違いない−−−と、巷間言い伝えられています。しかしながら、安全への配慮から、今、
煙突の最上部へ登ることが出来ません。言い伝えを確かめる術はなく、憶測は夢物語として続いています。


閉伊原頭の高台に−−

 ”ラサの煙突”

宮古とラサと煙突と

ポーと純金!?避雷針