御神歌(出典 横山八幡宮)
等複数言われているが、当地では横山八幡宮の神官が神歌によって阿波の鳴門の激浪を鎮めた功績により時の天皇(一条)から都と同訓の宮古を名乗ることを
許されたという説が通説となっている。
宮古という地名の語源には、いくつか説がある。
1.横山八幡宮を祀るミヤ(宮) コ(処)
2.閉伊地方の文化・経済の中心地である都
3.海産物を移しだし都物を移入して都のように栄える地
4.「港」からの転化
5.ミヤ(野原)コ(土地)
6.「宮木(ミヤコ)」の意味で、神社や仏堂をつくる材木
7.「宮子」で神社の氏子
8.「深山処(ミヤマコ)」の略で山中の在所のこと
(出典 岩手県地域振興部いわての文化情報大辞典より)
舒明13年(641年)横山の里が八幡山麓(とどろき畑)に出た
白鳳 9年(681年)または680年 横山八幡宮創建された
寛弘 8年(1011年)または寛弘3年(1006)横山の神官が神歌によって阿波の鳴門の激浪を鎮めた功績により時の天皇(一条)から都と同訓の宮古を名乗ることを許されたという